レバノン旅行記

Central Africa Republic(by kmさん)

レバノン
Bangui
飛行機で一緒になったドバイ在住パキ人ビジネスマンとCAR在住のその親戚(H氏)に親切にしてもらう。去年あったクーデタ未遂のためか日本大使館は閉鎖。空港はすべての職員が軍服でびっくり。街中も軍人が多くて写真をとる気にならない。おそらく何もない首都世界ベスト10に入る小さな町。パキ人は、税関やイエローカード不所持で賄賂・罰金、言い換えればすべてが金で片付きそう。アフリカは、どこもそうだが、商売は基本的に中国系とアラブ系(レバノン人)の独占。新参パキ人商人と、ライバル店に行き品揃えや値札の偵察に同行。H氏宅には現地人妻(パキスタンにも妻子あり)やその親戚・養子等20人くらいが生活。H氏の紹介で泊まったホテルは厭世的イスラエル人経営。ハイチのアリスティド大統領も一時亡命(?)した不思議な国。バンギしか見れなかったのが残念。

【旅行時期】2003/12/~2004/01/
【エリア】中央アフリカ
【テーマ】
【投稿者】km

Gabon(by kmさん)

レバノン
*ガボンのプチ・パリ
「お前、本気で言ってるのか?」
カメルーン、そして赤道ギニアから陸路でやってきた私にとって、ガボンの首都リーブルビルはとても発展しているように見えた。便利で快適・清潔、そして出会った人は親切な人ばかりだった。空き宿が見つからなかった私のために観光案内所の女性は一緒に宿を探してくれたし、カメルーンや赤道ギニアにはそこらじゅうにいた腐敗した軍人・警察・役人には出会わなかった。海岸沿いのカフェでは、パリジャンもうなずきそうな本格的なクロワッサンやカフェオレが出てきた。レバノン人経営のインターネット屋は接続スピードも速くて快適だった。実は一度目のガボン訪問時の印象は必ずしもよくなかったのだが、今回はとてもいい思いをしていた。だから、ナイジェリア人の露天ジュース売りのTに、「さすがは産油国の首都だね。リーブルビルはすごいよ。人も親切だし」と賞賛しているところだった。
「お前、よく知らないからそんなこと言えるんだよ。」
ヤクルトのおばちゃんが使っているようなカートの中から、意外と冷えたスプライトを取り出しながらTは私に言った。
「お前をいいところに連れてってやるよ。プチ・パリっていう地区なんだ。すぐ仕事おわるから、ちょっと待ってな。」
イボ族の彼は、リーブルビルに来て2年になる。ナイジェリアの主要民族のひとつであるイボ族だが、ハウサ族勢力の強いナイジェリアではいい職業に就けないのだという(そこまで迫害はひどくないと思うけど・・・)。「それで俺、大学でてるのに、異国まで来てジュース売りなんかやってんのさ」
Tは、ジュースの入ったカートの蓋を閉めて「店じまい」すると、それを少し離れたところにある空き地まで運び、ぐるぐるとチェーンを巻いてたくさん並んでいる他のカートに固定させた。カートも自前と言うわけじゃなくて、多額の保証金を積んでレンタルしているのだという。
「じゃ、行こうか」
薄暗く細い急な坂道を下ると、うず高く積まれたゴミの山。ゴムのようなものが燃えていて煙と刺激臭が漂っている。どぶ板のようなものをつなげて作られた道の足場はとても悪くて、前を歩いていくTからついつい遅れがちになる。もう薄暗くなりかけているというのに、あたりの明かりはほとんどついていなかった。この地区にはまともに電気が通っていないということだ。リーブルビルの「プチパリ」はスラムだったのだ。「小さなパリ」。名前こそ小粋だが目前に広がっていたのはパリジェンヌが泣き出しそうな光景だった。昔は「プチパリ」の名に相応しいおしゃれな繁華街だったのだろうか、それともだれかが皮肉でつけた名前だろうか。繁華街からわずか5分で環境がガラッと変わったことに少し驚くとともに、天然資源による恩恵は国民には決して行き届かないというアフリカの現状を再認識した。


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Libreville オイルリッチ国と聞いていたが、、、。トランジットステイ。パスポートを預けたあと、散々待たされて、ホテルまでバスで「連行」される。こんなに客室がぼろいIntercontinentalもないと思う。ガボン航空利用ではなかったので自分だけ自腹だと言われる(70USD?)。パスポートを取り戻すにも賄賂要求(拒絶)、知らない人がチェックイン等助けてくれるがチップ要求。朝タクシーチャーターして町を回るが、朝の遅い町なのか何も開いていない。

【旅行時期】2003/12/~2004/01/
【エリア】ガボン
【テーマ】
【投稿者】km

トルコ旅行記(3):3月31日:ドバイ・ドバイ空港でのトランジット、イスタンブールへ(by 旅人のくまさんさん)

レバノン
 昨晩、セントレア空港を飛立ったのは、定刻である23時前でした。予想がつかない飛行経路でしたが、日本列島を南下したあと、中国本土の上空を通過しました。大陸上空に入ったのは、上海より南の香港辺りだったようです。
 その後、中国からインドシナ半島を横切って、インド北部の上空に達しました。インド上空を過ぎてからはアラビア海に入ったようです。その前に、インドシナ半島上空を過ぎた後は、インドの東に位置するベンガル湾上空を飛んだようですが、夢の中でした。セントレアを飛立って、約11時間の夜間飛行でした。
 ところで、最新の航空機の内部照明は、心理・生理面から時差対策がなされているようです。単に明るくしたり暗くしたりで、夜や明け方を演出するのではなく、通路の上部には星空を思わせる照明もありました。

<ドバイ到着、10時間のトランジット>
 出発10日前ほどに旅行計画書を受取って。気掛かりだったのが、ドバイでのトランジットの際の、10時間待ちでした。旅行会社からは「ドバイ空港での出入国は事故防止のために控えてください」とお聞きしていたこともあったからです。
 ドバイ空港は拡張工事の最中でした。エプロン工事がされていましたので、ほとんどの航空機が車載のタラップを横付けにして、バスでの移動のようでした。到着したのは、4時45分くらいの定刻でした。「最初の停留所では入国の皆さんが、二番目の停留所では、トランジットの皆さんが利用してください」との車内アナウンスがありました。
 バスを降りて、出発ロビーに入る手前でセキュリティチェックがありました。歯磨きなどは、予め透明の別の袋に入れておきました。

<オーストラリアのニコラスさんと>
 ドバイ空港での長いトランジットでしたが、レストランでオーストラリア人のニコラスさんと隣席になってからは、あっという間に時間が過ぎました。その話を紹介しておきます。たまたま、ニコラスさんの横の席が空いたのがきっかけでした。
 私が日本人と分かると、すぐに日本語の単語を交えて話しかけてきました。かつて、お母さんの仕事の関係で、東京と札幌などを12日間旅行されたことが、日本人を見て話しかけたくなった理由のようでした。私も、かつてシドニーからメルボルンを旅行した事がありましたから、そのことだけでも話が弾みました。
 水泳のイアンソープ選手が引退した裏話、この後の首相選挙、食べ物や飲み物の話など、色々と話が飛びました。イアンソープ選手のことは、日本のマスコミにも載っていないようでしたが、微妙な話ですから、この小冊子に収録するのは控えておきます。この話になったのは、メルボルンで世界水泳大会が開かれていたことがきっかけでした。
 12年間続いたハワードヒューズ政権には、「国民が飽き飽きして、フレッシュな首相を望んでいる」と、自分の意見を交えて説明してくれました。「オーストラリアにとって一番気掛かりなことが、アメリカのブッシュ大統領の言いなりになって、イラン・イラク問題など、中東問題にのめり込み過ぎ」といった意見も披露してくれました。
 現在、メルボルン近郊の小さな町に住んでいて、今回の旅行は、シンガポール経由でアフリカ旅行と教えてくれました。アフリカはケニアを始めとする4カ国を回りたいとも話されました。シンガポールからドバイまでは7時間かかったそうですが、私が名古屋のセントレア空港から11時間かかったと説明しましたら、何度か聞き直しては、「そんなにかかったのか?」と、同情してもらいました。
 旅行情報の中では、「エアーズロックはアボリジニの聖地ですが、日本からの旅行者には、時間がかかる割には感激が薄く、お勧めできません。それよりは、ケアンズの近くのグレートバリアリーフが一番!」と力を籠めて勧めてくれました。
 「シンガポールは大都会で、私は好きではありません。それよりはマレーシアの方が、自然が残っていて好きです」と、インドシナ半島の国の話もしてくれました。話が弾んで、お互いに3杯目のお代りとなりました。私は生ビール2杯と、後は缶ビールになりました。生ビールが売切れてしまったためです。彼は、2杯目からはオーストラリア産の発泡ワインのような飲み物でした。サイダーに似た泡と色合いでした。
私のフライトは午後でしたが、ニコラスさんは、彼の出発ギリギリの時間まで付き合ってくれました。インターネットを扱っているということで、彼のEメールアドレスをメモして頂き、私のホームページの名刺をお渡しして、お互いの旅の安全とエンジョイを祈って、お別れしました。

<ドバイ出発、イスタンブールへ>
 ドバイ空港での昼食の話です。出発前にインターネットで調べておいたことですが、長時間のトランジットの場合には、エミレーツ航空系列店のラウンジが使用できるという内容でした。その情報を紹介します。
 「マルハバ・ラウンジは伝統的なアラビアン・スタイル。トランジットおよびご出発のお客様のために用意しています。ご出発までのひとときを快適にお過ごしください。マルハバ・ラウンジはターミナルのブルー(東)セクションの突き当たり、25番ゲートの近くにあり、クラスに関係なくすべてのお客様にご利用いただけます」
 朝早い時間にマルハバ・ラウンジに立ち寄りましたが、「ブッキングしていないから、ラウンジの使用は駄目」と言う回答でした。それで、別のレストランに入り、ニコラスさんと盛り上がる結果となりました。
 今度は昼食のレストラン探しの時に、あるお店の前に「エミレーツ航空を利用の方で、4時間以上の滞在をされる方は、無料で食事サービスをします」との英文看板を見つけました。それで、搭乗券を見せましたら、その案内看板の通り、無料でのバイキング方式のランチサービスがありました。ランチの利用時間帯は、12時から15時と記されていました。
 そのお店で昼食を摂った後も、少し時間が余りましたので、免税店で飲み物を探しました。セントレア空港でオールドパーを買い求める時に、ドバイ乗継の状況を店員さんにお聞きしたら、「没収される可能性がありますから、ここで買うより、ドバイ空港の方が確実です」と親切にアドバイスしてくれていました。オールドパーはありませんでしたから、ジョニ黒にしました。随分長く待ちましたが、定刻でのドバイ出発となりました。

<イスタンブールへの航路>
 セントレア空港のエミレーツ航空カウンタでのチェックインの時、ドバイ空港までは通路側の席が注文できました。しかし、ドバイからは窓側の席か取れませんでした。しかし、3席続きの2席も空席でしたから、結果としては、自由に3席を使用することができました。
 明るい時間帯での飛行でしたから、窓際からの景色も楽しむことができました。座席の前のフライトサービスの画面と合わせ、ドバイからイスタンブールまでの航路を確認しながらの搭乗でした。
 その飛行経路を簡単に紹介しておきます。ドバイを飛立った後は、ペルシャ湾を北西に向かって飛び、カタール国とバーレーン国の沖合を過ぎました。陸上に入ったのは、ペルシャ湾が尽きる手前、サウジアラビアです。ここからは暫くイラクとの国境近く、緩衝地帯を飛行しました。サウジアラビアを過ぎると、ヨルダンからシリアの上空を経て地中海上空に達しました。細かく進路を変えて、イラクと、レバノン上空は通過しなかったようです。
 地中海に入った後は、キプロスの東の端を掠めてからトルコの上空に入りました。そのトルコを西方面へ斜めに飛んで、イスタンブールのアタチュルク国際空港へ降り立ちました。
 写真編には、上空から見たその一部を収録しておきましたが、面白い光景にも出会いました。その一つが、ドバイ沖です。大掛かりな人口の島でも作っているような不思議な幾何学模様でした。また、サウジアラビアの内陸部では円形の貯水池のような施設が無数に見えました。淡水化事業関連施設なのかどうか、詳しくは分かりませんでした。

<イスタンブールへ到着、全員集合>
 旅行計画書に記載された時刻から逆算したフライト時間です。ドバイからイスタンブールまでが3時間15分、その戻りが5時間15分でした。いずれも現地時間で記載してあるはずですから、時差が1時間と仮定しますと、往復とも4時間15分のフライトとなります。
 ほぼ定刻に出発し、イスタンブールに到着しました。空港で出迎えてくれたのは、トルコ人の現地ガイド兼添乗員のスワウィさんでした。ここで、はじめて16名全員が勢揃いしました。

<ホテルへ、早速外出>
 旅行計画書には、この日の夕食は記載されていませんでしたから、予めその準備をしていました。ドバイ空港のエミレーツのレストランで昼食を済ませていましたから、機内食が余分だったためです。機内では飲み物だけにして、持ち帰りが出来るものをリュックに入れて置きました。パンとバター、それにクッキーです。
 後でお聞きしたお話では、食事をせずにそのまま就寝された方がほとんどだったようです。私は機内から持ち帰った食べ物と、ドバイ空港で買ってきたジョニ黒で、無事の到着を祝って一人で乾杯をした後、外出することにしました。
 外出と言っても、ホテルの近くだけの散策です。人通りはほとんどありませんでしたが、治安が悪そうな雰囲気ではありませんでした。開いているお店は、小さなコンビに等でした。路面電車が走っている表通りと、坂を下ってロータリーがある広い交差点付近までを散策しました。


  ドバイ空港で
 旅人に国境は無したまさかに出逢いし人と語らう酒場

  機内で
 戦乱の未だ収まらぬ中東に砂漠見下ろす空の碧濃し

  イスタンブールに着いて
 欧州は東に果てて小アジア海峡抱く街に今立つ

【旅行時期】2007/03/30~2007/04/05
【エリア】イスタンブール
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

ニュージーランド 南北縦断(by macoさん)

レバノン
 ネルソン郊外の町、リッチモンドで無事に友人との再会を果たす。
 
 たまたま、友人が、たまたま、ワーホリで、たまたま、ニュージーランドに行
かなきゃこの国を訪れる事はなかったんじゃないかなと思う。
 これがアメリカならアメリカに、カナダならカナダに、イギリスならイギリスにって、なっていたんだと思う。

 全くの偶然なんだけど来てみりゃ、とても素敵な国だと感じる。
 ま、これも旅行者としての感想だから、実際に暮らしてみないことにはわからないだろうね。

 友人も一年近く、暮らしていて今の町、リッチモンドに来てからは楽しんでいるようでなによりだ。

 俺とそいつともう一人、ワーホリで訪れている男の子と三人でその日の夕飯の買物をモール内のスーパーで済ます。
 ちなみに、このモール、スーパーがなぜか二つある。

 そのスーパーでニュージーランドビールも購入。

 そうして三人で、友人のステイ先で夕飯。

 ビール飲みつつ、友人が料理を担当。俺と彼は横から口をだす。
 そうして出来たメニューは……

『ほうれん草のおひたし』
『青椒肉絲』
『寿司屋の余り物の巻き寿司』
『味噌汁』

 素晴らしい日本の家庭料理が並んだ。

 飯を食い終わり軒先で煙草を吸いながら、とりとめのない話をして一日が終わったいった。
 彼が帰り、俺は友人宅に泊めてもらうことになる。寝る前に外で星を二人で眺めていた。

 星ってこんなにあったんだと実感。

 流れ星も目撃。
 場所によるけけれど、人工衛星も見えるらしい。

 翌日。滞在五日目。友人は仕事に出掛け、俺はネルソン市内観光に出掛けた。
 手始めにバス停まで迷う。そこら辺にいた人を捕まえて道を尋ねると五分ぐらいだという。
 実際には十五分ぐらいだった。
 なかなかいいアバウトさ。

 バス停に着いたがバスがこの旅で初めて遅れる。
 運転手は白髪のおばちゃんだった。
 このおばちゃん、客を乗せたものの、レジが止まったままだった。ニュージーランドのバスは乗車の時に料金を払い、レシートをくれる。
 動かないのか動かせないのかはわからないがとにかくレジが故障した。
 どうするのかと思ったら、バスのターミナルまで戻り、別のバスからレジごと交換していた。
 そのせいで予定より三十分遅れで出発した。

 別に急いでいないからかまわないものの、随分な力技だった。

 ネルソンに到着して街をふらふらしていたら、市内のパーキングでフリーマーケットを発見。といっても規模はかなり小さいけどね。
 なんか面白いものでもあるかと思い、入ってみる。そこで、ジャムを売っている店を見つける。

 その露店を眺めていたら、夫婦だろうか、女性に声をかけられる。
「あなたはイングランドから来たの?」と。

 帽子にイングランドって書いてあるからそう尋ねたみたいだけどさ、どう見てもアジアンですよ。
 冗談かもしれない。が、こういう話があったんだよ。ここで。っていう、オマケが付いたのでベリー系のジャムを購入。母親への土産にした。

 ひどく、不釣り合いなビニール袋に入れてもらい街歩きを続ける。そこからニュージーランドの中心点へと向かう。
 街の外れのちょっとした山を登るとそこがニュージーランドの中心点。
 簡単なモニュメントがありそこから市内と海外線が一望出来た。

 手すりに落書きを見つけて何処の国でも変わらないもんなのかなって。
 マナー違反ではあるけどね。

 一通り、街を歩き回って、リッチモンドへ戻ることにした。帰りのバスの運転手は行きと同じおばちゃんだった。

 リッチモンドに到着し、仕事が終わった友人と落ち合うためにモールに。
 昨日と同様にスーパーで買物をして、今日は俺が料理を担当した。

 パスタを作った。

 美味しく召し上がっていただきました。

 腹ごしらえをしてバーに連れていってもらう。
 昨日の男の子と、もう一人、ワーホリで訪れている男の子を加えて四人が軽く
飲む。
 ビールが旨い。その上、安い。

 バーを出て、めいめいに散っていったが俺と友人が一番遠くだった。

 徒歩一時間半。

 明日も朝が早いので、すぐに寝ることにした。

 至って、地元で会うような感じで二日間、過ごしたが、まあ、こんな付き合い方が俺らしくもあるかも。

 明日はクライストチャーチへ列車で向かう。

 ニュージーランド滞在も六日目の朝を迎えた。
 今日はネルソンから南島の北端の町、ピクトンへ。ウェリントンからフェリーで到着したあの町へ。
 少し、引き返したのはここから南島の主要都市クライストチャーチまで列車で旅をするからだ。

 朝も早く、友人のステイ先をたって、友人に見送られながらまずはバスでネルソンへ。そこからさらにバスを乗り継ぎ、ピクトンへ。

 天候は曇りがちだった。どうにも晴れたり、曇ったりと曖昧な空模様が多かった。しかし、カラッと晴れた日には日差しがまぶしいほどだが湿気はなく心地よい。

 ピクトンとまで、一度見た車窓からの風景をぼんやり眺めていた。
 途中、山あいでは霧がかかっていた。

 気まぐれな天候にもてあそばれながら、ピクトンに到着。ピクトンの空はすっかり晴れ渡っていた。
 この旅のハイライトとしては、申し分ない。

 バスターミナルからすぐのレイルステイションの事務所で、切符を受け取る。
日本でウェブサイトからブッキングをしていたのだが、ナンバーだけしか控えていなかったのが気がかりだったがとても簡単な手続きでチケットを渡してくれた


 それを終えるとヒマになってしまったので駅のすぐ近くで見つけた、スケボ専用のパークで一人、スケボーをする。
 しばらくすると地元のキッズ達が現れた。
 挨拶を交わして、彼らとたどたどしい英語で会話などしてる。
 一人、マオリ系のガキはずいぶんなマセガキだったのが印象深かった。
 おそらく、スラング混じりだと思うが「日本の女はどうだ?」的なことを言われたので意味深な笑みを返したりして、遊んだ。
 多分、十歳ぐらいだと思うが、タバコをくれという。
 生意気な!って感じだけど俺もろくな大人じゃないので記念にタバコ二本とパチンコの景品で日本からここまでともに旅した綾波レイのライターを彼に手渡した。

 キッズ達と別れ、何度目だろうか、カフェでまったりしつつ列車の到着を待つ。

 午後一時、予定どおりに列車が到着。わずか四両ほどの青い車体の列車がやってきた。
 列車の座席に座り、車掌に切符を渡す。全員の切符を集めた所で出発した。

 発車後、しばらくは車窓から景色を眺めていたが列車の後部車両は屋根があるだけの吹きさらしの車両になっているのでそこへ移動して風に当たりながら、町中から郊外、郊外からワイナリー、牧草地、そこから山を抜けて、川を渡り、と徐々に変わる景色を眺める。

 順調に海岸線に沿って列車は南下をしていく。途中、カイコウラというホエールウォッチングで有名な町の海岸に野生のオットセイと遭遇。
 かわいいもんでこれがまた。日光でサルに遭遇とは訳が違う。

 テトラポットによじ登って、日光浴でもしていたのかも。

 後部車両だと吹きさらしのためにもろに風をうけるが、写真をとるには絶好の場所で、次々に観光客が撮影に来ていた。

 途中、踏み切りでトラクターに乗った農夫がグッドラックって感じで親指を立てていたっけ。こんな場面、『世界名作劇場』でしか見れないもんじゃないのかな。

 ほのぼのした列車も無事にクライストチャーチに到着するも毎度のことながら市の中心まではどう行けばいいのかと考えていると駅の出口にしっかりとタクシーとバスが停まっていた。バスの時間を待つのもかったるい、タクシーも高いとあって、乗り合いのタクシーの運転手に声をかけ乗せてもらうことに。

 乗り合いタクシーに乗り、市の中心で降ろしてもらい宿探しをはじめる。『地球の歩き方』を持っていっていたので、めぼしい宿はリストアップしていたが見事に迷子になる。
 ちなみにクライストチャーチは町の中心に大聖堂がありそこから碁盤の目のようなシンプルな造りなのだが。
 当初の予定とはまったく別の宿にチェックインして翌朝の飛行機に間に合うようにシャトルバスを予約してもらう。

 夕方から街歩きを始めたがキレイな街並みなんだけどイマイチだなと感じた。
なんでだろうと思ったら、大聖堂は美しいが街中に日本人と日本語が溢れていたからだ。
 それでもオークランドの都会的な匂いとは別のゆったりとした印象。

 ひとしきり、歩き回って、コンビニで買物をする。店員がいかにもな外人で堂々と携帯電話で話をする、俺が会計をしているとやたら「シット!」と言っていたりとまあ、見てる分には面白かった。

 宿に帰り、明日に備えて寝ることにした。

 翌日。

 飛行機に乗り遅れる。

 寝過ごした。

 もうダメだろうと思いながらタクシーを捕まえて空港まで向かう。
 空港のインフォメーションでチケットを見せると、はっきりと「もう、今日のフライトは終わった」と宣言された。しかし、これじゃないと帰れないのでどうすれば帰れるか問い質すと、こんな事は稀にあるのか翌日の便を手配してくれた。百ドルの追加料金で。
 手続きをしているとその係員の隣に女性の係員が座り何事かを話していた。俺の事を話しているのだろう。彼女は「ジーザス」と呟いた。

 言ってやりゃよかったかな。「アイ シンク ソー」って。

 翌日まで足止めをくらってしまったが、昨日に引き続き、街をブラブラしてい
た。
 大聖堂の前で聖書を朗読する爺さんを眺めたり、広場でチェスを観戦したり、
ケバブの屋台でケバブ買ったり、ケバブ屋に「あんたはトルコ人かい?」って尋ねたら「レバノン人だ」って意外な答えだったり、アートセンターの前でニュージーランド人に声をかけられ、アンケートに答えてたり、コーヒー一杯おごってくれるって言うから。断る理由はないので暇つぶしになりそうなので受けてみることにした。

 そいつが日本語ペラペラだったりでさ。

 どうやら観光客相手の調査をしているようでそんぐらい観光に力を入れているんだなと思った。 

 そうしたことをしているうちに日も暮れてきたので宿に戻り、寝ようと思ったが今度は寝れない。

 日本から持ってきた「深夜特急」を全部、読み終えた。
 作者は今の俺と同じ年の頃にユーラシアを横断するという途方もない旅をしていたんだと思うと俺も彼が見た景色を見てみたくなってしまった。

 翌日、早朝にシャトルバスにピックアップしてもらう。
 運転手は俺の名前を発音出来ないでいた。
 俺の名前は外人は発音しずらいらしい。

 空港まで送ってもらい、さっさとチェックインを済ます。
 帰りはクライストチャーチから国内線でオークランドまで行き、そこから国際線に乗り換えて成田へとなる。
 
 オークランド空港に着き、のんびり食事していたら国際線のターミナルがわか
らないことに気が付き慌てて探す羽目になる。
 直ぐに見付かったが危うくまた、置いてきぼりをくらう所だった。

 無事に出国し、搭乗口に行くと修学旅行の学生どもがいた。
 こいつらの席の近くになりたくないなと思っていたら。

 そいつらに囲まれた席だった。

 引率に生徒に間違われる。

 最悪のフライトで日本に帰国。

【旅行時期】2008/10/28~2008/11/05
【エリア】クライストチャーチ
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】maco

2005年5月、写真展「パレスチナ難民キャンプ<レバノン>の子ども達イン大分市NO,1(by 堀昭夫さん)

レバノン
2005年5月25日(水)から29日(日)迄、開いた個展のDMです。

【旅行時期】2005/05/25~2005/05/29
【エリア】ベイルート
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】堀昭夫

レバノンの画像

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