クウェート旅行記
レバノンの旅 〜首都ベイルートを歩く〜(by Krisflyerさん)
先の3日間でビブロス、バールベック、アンジャル、ティールと世界遺産三昧であったため、この日はベイルート市内観光に注力した・・・・が、なんと月曜日は国立博物館が休館であることが判明。
しょうがないので、お土産物色と海辺をゆっくりと廻る事にした。先ずは朝歩いてハムラ地域に向かい、いろいろなお土産やを物色。その後セルビスで東ベイルート地区に向かい、カーペット屋でベルシャ絨毯2枚を購入。
イスファハンのカーペットはベイルートではだいたい$750〜。そしてレバノンのポップス音楽のCD等も物色。
昼食はハムラ地区で取り、ホテルへ戻り一旦チェックアウト。荷物だけをホテルに預け、再び出発。
ベイルートでも有数の観光名所と言われる鳩の岩を観光。ここにはベイルート市民達が陽だまりの中でゆっくりとすごす為に家族連れで訪れている。その観光客目当てに写真を撮るおじさんや、手相占いをするおばさんたちもご多分に漏れず居る。
夕方ホテルに戻り荷物をピックアップした後、タクシーでベイルート国際空港に向かい、ミドルイースト航空にてクウェートへと飛び立った。
ノスタルジック中近東ーベイルート(by アリヤンさん)
クウェートに出稼ぎに来ていた友人のレバノン人(マロナイト派キリスト教徒)がいつも自慢していた。
「夏には海で泳ぎ山でスキーが同時に出来る」すばらしいベイルート。「中東のパリ」ともいわれたベイルート。ノアの箱舟はレバノン杉で作られたとも言われる、歴史あるレバノン・ベイルート。
彼の家族総出の案内でベイルートを初めて訪れた。
1980年当時、まだレバノンは内戦中であった。(今でも内戦中だが)。
空港降りたら彼ではなく、彼の知り合いで「ベイルート市内を安全に通り抜けられる確実な人」が迎えに来ていた。
ベイルート市街は、辻つじに土嚢を積み重機関銃を据えた兵士が目を光らせ、あちこちのビルには大穴小穴があいて、壁はハチの巣状態。さすが、ワタクシたち家族は緊張した。安全な地域はキリスト教徒が住んでいる山手しかない、とのことで、わたしたちはとうとう市街地には留まらずほとんど山手ですごした。
あれから27年経った現在でもニュースで見るようにベイルートには平和はやって来ていない。友人の家族は建てかけの邸宅を放って10年以上前にアメリカ合衆国に移住してしまった。
イスラム教各宗派、キリスト教の人たちの思惑、イスラエル、シリア、イランの思惑が交錯して内臓不全な状態に陥ってしまったこの国の人たちは不幸な人たちだ。
【旅行時期】1980/08/~1980/08/
【エリア】
ベイルート
【テーマ】
【投稿者】
アリヤン
ノスタルジック中近東ードバイ(by アリヤンさん)
かつてはアラビアン・ガルフ(ペルシャ湾)の小さな港町でしかなかった、ドバイ。
オイル・ダラーの恩恵を受けてここもインフラ建設に忙しかった。石油収入に頼るアブダビとは違って、石油が枯渇してきたドバイ首長国は経済の柱を商業に置いた。その選択が今のところ功を奏している、と言えよう。
現在ではアラビアの唯一のリゾート地と化し、年々ゴージャス化して行っており日本の若者の人気が高まっている。
現在のドバイからは想像も付かないほど1978年当時はショボクレた商業の町であった。
クリーク・サイドでは朝から晩までドバイ・サイドへの渡し舟が忙しく行き来し、イラン人の人夫が汗だくでダウ船に荷揚げをしていた。ダウ船は主にイラン人が操舵しており取引もイランが多い。タマにパキスタンへ行くダウ船もある。
当時は地道だったクリーク・サイドではインド人の記念写真屋が虎の剥製をダシに客引きをしており、混沌とした雰囲気のスークでは「ここはインドではないか?」とさえ思えるほどインド人であふれていた。
リゾートのリの字もない、それは蒸し暑くおぞましくもあるドバイであった。
【旅行時期】1978/12/~1978/12/
【エリア】
ドバイ
【テーマ】
出張
【投稿者】
アリヤン
ノスタルジック スイスーアイガー北壁(by アリヤンさん)
駐在していたクウェートの夏休みに家族総出で我が愛するパリに出かけた。今回は鉄道の旅をしようと計画して、ユーレイルパスをドバイの旅行社で事前に購入していた。
クウェートのフラットである日の一家団欒で、ドラエモンがのび太やしずかチャンと一緒にスイスのアイガー北壁に行って楽しんでいるビデオを見てしまった。それ以来、子供たちはドラエモンの行ったスイスに行きたい!と言い出したのだ。
パリのアメリカン・ホスピタルで健康診断をしてから今回の鉄道の旅が始まった。
フランス新幹線TGVに乗ってフランスからスイス入りした。暑い、熱いくらいのクウェートでは味わえない雪と氷のスイス。
【旅行時期】1987/08/~1987/08/
【エリア】
ユングフラウ
【テーマ】
【投稿者】
アリヤン
ノスタルジックフランスーアヴィニョン、グルノーブル、フォンテンブロー(by アリヤンさん)
1986年の夏休み。クウェートからオリンピック・エアでアテネ経由でパリへ。今度は子供が2人になって親子4人、モンパルナス駅の隣りで借りたレンタカーで一路南を目指した。リヨン、ヴァランス(この町はアルメニア人が大多数を占める町。シリアのアレッポを思い出す。)、オランジュ、そしてアヴィニョン。写真嫌いだったので当時の写真は少なく、子供の思い出づくりにと思い撮ったもの。もっとアチコチ撮っていればなあ、、っと後悔先にたたず。
当初の計画ではマルセイユから南仏海岸を走ってからパリに戻る予定だったが、アックス・オン・プロヴァンスで道を間違い、アルルまで行ったりしてマルセイユにどうしても行く事が出来なかった。仕方なく方向を転換してアヴィニョンに寄り、グルノーブルに立ち寄った。フレンチ・アルプスを右に眺めながらシャンベリ周りでパリに帰還した。1週間くらいのドライブだった。
当ブログはパリ、アヴィニョン、グルノーブル、フォンテンブローとごっちゃ煮となっていますがご勘弁ください。
【旅行時期】1986/08/~1986/08/
【エリア】
アヴィニヨン
【テーマ】
【投稿者】
アリヤン
クウェートに関する質問
ベネズエラとクウェートを含む中東諸国及び台湾との外..
ベネズエラとクウェートを含む中東諸国及び台湾との外交関係を教えてください。
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