イスラエル旅行記

Central Africa Republic(by kmさん)

イスラエル
Bangui
飛行機で一緒になったドバイ在住パキ人ビジネスマンとCAR在住のその親戚(H氏)に親切にしてもらう。去年あったクーデタ未遂のためか日本大使館は閉鎖。空港はすべての職員が軍服でびっくり。街中も軍人が多くて写真をとる気にならない。おそらく何もない首都世界ベスト10に入る小さな町。パキ人は、税関やイエローカード不所持で賄賂・罰金、言い換えればすべてが金で片付きそう。アフリカは、どこもそうだが、商売は基本的に中国系とアラブ系(レバノン人)の独占。新参パキ人商人と、ライバル店に行き品揃えや値札の偵察に同行。H氏宅には現地人妻(パキスタンにも妻子あり)やその親戚・養子等20人くらいが生活。H氏の紹介で泊まったホテルは厭世的イスラエル人経営。ハイチのアリスティド大統領も一時亡命(?)した不思議な国。バンギしか見れなかったのが残念。

【旅行時期】2003/12/~2004/01/
【エリア】中央アフリカ
【テーマ】
【投稿者】km

Eritrea(by kmさん)

イスラエル
エリトリア

*アフリカ一若い国
エチオピアから30年に及ぶ戦いの末独立を勝ち取ったアフリカで一番新しい独立国、それがエリトリアだ。この地を失えば紅海へのルートを失い内陸国になってしまうエ
チオピアは、エリトリア独立をなかなか容認せず、エリトリア独立戦争は30年にも及
んだ。そんなエリトリアでは自由よりも快適さよりも平和と協調がより重要の価値に
なっているように見えた。
例えば、店の看板・広告・車のナンバー・・・目にする文字全てがティグリニア文字
(エチオピアのアムハラ文字と共通)、アラビア文字、そしてローマ字の3種類表記
だ。田舎の村では、ローマ字表記ないものがあったが、ティグリニア・アラビアの文
字はいつも仲良く並んでいた。この国ではキリスト教(ティグリニア文字使用)・イ
スラム教徒(アラビア文字使用)が50%ずつ丁度拮抗しているそうだ。南に「キリスト教国」エチオピアを、西に「イスラム教国」スーダンを抱える小国エリトリアは、ひとたび宗教対立・民族対立が顕在化してしまえば常に周辺国の介入を招き戦争に突入してしまう危険がある。30年掛けて勝ち取った平和を大切に守っていこうという意気込みが、看板一つ一つから伝わってくるような気がした。
なお、キリスト教といっても、この国の主流はカトリックでもプロテスタントでもな
い。ヨーロッパ列強がアフリカに進出してくるはるか以前から存在していた正教
(オーソドックス)だ。英語の分かるエリトリア人は、Greek(ギリシア正教)だと
いっていた。対エチオピア感情が悪いので認めたくないのは分かるが実際にはエチオ
ピア正教と教義が同一だ。

*30年ぶりの帰国
いつかエチオピアから陸路で行くと決めていた国、エリトリア。一向に開かれない陸路国
境をあきらめ、空路訪問することにした。まず問題になるのが入国ビザの手配だ。かつて在日エリトリア大使館がなかった頃は在中国大使館と国際電話・FAXでやり取りしたが結局ビザは取れず、さらにイエメ
ン他周辺国でビザを取得しようとしたときも大使館閉鎖またはビザ取得に時間がかか
るということであきらめ、結局ビザが取れないがために行きそびれてしまっていたのだ。近時開設された在日エ
リトリア大使館でようやく取得したビザに興奮していると、今度は別の問題が。カイロ-アスマラの直行
便は乗客過少のため日本発直前にキャンセルを決定したというのだ。周辺に友好国が少ないエリトリア
では当然空路アクセスも限定される。2日後のジェッダ経由で入国せざるをえない。
私としては数ある苦難を乗り越え待ちに待った訪問のつもりだった。しかし、私よりも遥かに渡航を待ちわびていた人がいた。

それは、JEDからの飛行機隣の席の「エリトリア人」S氏、なんと30年ぶりに母国に
「帰国」するのだという。39歳のS氏は9歳で戦火を逃れ両親とスーダンに出国、長いサウジ亡命
生活を経て、今はイギリス在住、イギリス国籍を保有している。ビデオカメラ片手に
静かに興奮しているS氏に私は尋ねる。1993年5月に国が独立してから12年もたつと言
うのに、今まで何故戻ってこれなかったのかと。エリトリア系妻との間に4人の子供
を持ち、ロンドンで小さな食材店を営むS氏は私に答える。「That is the life!」
 人生とはそんなものらしい。

機内を見渡すと、散見される赤白チェックのカフィーヤ(典型的サウジ風着こなし)
を被った男たち。彼らも長くサウジ生活を送ってきた「エリトリア人」だそうだ。S
氏は、国民食インジェラも、蒸し暑い環境も大好きだと言う。奥さんはエリトリア系で家庭では。誘惑の多いロンドン暮らしにもかかわらず酒は飲まない敬虔なムスリムで、子供たちをコーラン学校に通わせているという。S氏は30年間の異国暮らしを経てもなお「エリトリア人」なのだ。

* 深夜の屋台で Y君のこと
フレンドリーな挨拶はあたりまえ、英語もなぜかよく通じるこの国で、フレンドリー
に英語で話し掛けてきたYに、はじめは違和感を覚えなかった。なにより、屋台で現
地食を素手で食べている彼は現地人にしか見えなかった。でもいわれてみれば彼は現
地では見られないデニムの短パンを履いているし、現地の人は彼に英語で話し掛けて
いる。アメリカ育ちの彼は、本当に現地語が話せないのだ。そしてアメリカに住んで
いなければ習得し得ない流暢なアメリカの黒人英語を話している。落ち着いた性格。
うそつきではなさそうだ。彼の、モロッコでの、アメリカでの、イスラエルでの、そ
してケニアでの信じられないような一連の話はきっと本当なのだ。
冷戦下ではエチオピアをサポートしたソ連に対抗し、アメリカがエリトリアに拠点を
置いたのだろうか、Yによるとエリトリアに米軍基地があったらしい(真否未確認、
というか確認できないので間違いではないか)。アメリカ軍人だった養父とともにア
メリカに渡り、アメリカで育ったが、わけあって一人マッサワに住むY。仕事もな
く、夢もない。町全体が遺跡のようなマッサワの蒸し暑い夜、猥雑な音楽をバック
に、僕らは、夜更けまで話しこんだ。


* 日系米人Oさんのこと
何度も間違えながら思い出し手帳に書いてくれた縦書きの名前には見たことのない虫偏の漢
字が含まれていた。人の名前に虫偏はありえないでしょう・・・と思いつつ、帰国後調べて
みると、「蛟(みずち)」、龍の一種らしい。太平洋戦争中日系アメリカ人を強制収
容するためのキャンプである、悪名高きマンザナールその他3つのキャンプを転々と
しながら幼少時を過ごしたO氏は、マンザナール「同級生」のゴードンサトウ氏のマ
ングローブ植林プロジェクトを視察するため1999年にマッサワを訪れた。その数ヵ月
後には、この地でリタイアすることを決意し、移住。以来、6年になる。日本には戦
後日本に戻った父とともに数年博多に住んでいるということで、片言はなせる日本語
は博多弁だ。「(終戦直後は食べ物がなくて、)町の人、困っとったんよー」。珊瑚でできた古い家が並ぶ、蒸し暑く眠たい港町マッサワ、波乱万丈の人生を送ってきたOさんがゆっくり老後を楽しのにぴったりのような気がした。

*勤勉で清潔好きな国民性
オイルマネーで外国人労働者に清掃させているリビアは別として、自国民が自らの意
思と努力ででこれだけ清潔さを保持しているアフリカの国を私は知らない。首都のアスマラと
マッサワを結ぶルートしか知らないが、道端のごみが少ない。朝6じ頃アス
マラの町を散歩してみると、雑巾で車体をぴかぴかに磨いているタクシードライ
バー、店の窓を腰をかがめて拭く女の子、家の前を箒がけしているおばちゃん、そん
な人たちを多く目にする。綺麗なことは気持ちのいいこと、アフリカを旅していると
忘れかけてしまう感覚を取り戻すことができる。

その他
*両替レート撮影で尋問
世界には、独自の通貨というものがありながら、外国人旅行者には外貨払いが法律上または事実上強要される国々が存在する。北朝鮮などの孤立した国、セイシェルなど観光地もそうだった。国家が外貨獲得に必死なのだ。エリトリアも国家による外貨コントロールが厳しい点は共通だが、特殊なのは、現地通貨を使用すること自体はでき、ただ一定の銀行で公定レートで両替しなければならないという点。アルジェリアと一緒だ。このような国はたいてい闇レートというものが存在するのだが、現地人には外国人と両替に応じたり外貨を直接受領すると罰則が適用されてしまう。外貨払いを直接町ですることはできず(罰則を恐れて町の人が受け取ってくれない)、両替は多めにしなければならないが、いったん現地通貨にしてしまうと外貨に際両替するのはとても大変、という困った国なのだ。タクシードライバーによると外貨管理は年々厳しくなっているそうだ。ユニークな公定レート一覧表を記念に撮影しようとすると、・・・・。両替レートは重大な国家機密らしい。国民の外貨取得の自由を規制している点がニュースになってしまうのを恐れているのではないか。

  • http://4travel.jp/traveler/km/profile/

  • 【旅行時期】2005/04/~2005/05/
    【エリア】エリトリア
    【テーマ】
    【投稿者】km

    Armenia(by kmさん)

    イスラエル
    グルジア国境で車に乗せてくれた「親切な二人」は、恐喝グループだった。渡された名刺は他人の物だろう。確かに彼らの人相は非常に悪く、体格と声はやくざ風、振る舞いは粗野だったが、アルメニアは見かけが悪くてもいい人が多い。前回訪問時、実際には良い人を疑って申し訳なかったと自省することが多かったので、今回は信じてだまされてしまったのだ。

    2人組はセバン湖などいろいろ連れて行ってくれた挙句、人気のないところに移動し最後は「300ドル払え」。1度目のアルメニア訪問時親切にしてもらったA氏の連絡先やアルメニア語会話帳も取り上げられたまま。妙に日本のことに詳しいこの男、相当多くの日本人を食い物にしてきたのだろう。運よく家から出てきた農家の人に車の窓から助けを求め、家の中に入れてもらう。言葉は通じなかったので事情はうまく伝えられなかったが、食事やお土産のりんごまでいただき、タクシーを呼んでもらう。

    翌日は、アゼルバイジャン内の飛び地「ナゴルノカラバフ」へ。YerevanからGorisの町まで乗り合いバス、そこから英人旅行者とタクシーをシェア。国際的には未だアゼルバイジャン領の土地だが、ソ連崩壊後のカラバフ戦争によりアルメニアが占領、アゼルバイジャン系住民は難民となりアゼルバイジャンの各地に離散。カラバフは独立宣言するものの、アルメニア以外で承認している国なく(ただしアルメニア財界の影響力が強い米仏に連絡オフィスあり)、アルメニアの傀儡というのが世界的な認識。

    アルメニアは、アゼルバイジャンに囲まれた飛び地となってしまうカラバフとアルメニア本土をつなげるために「ラチン回廊」という通行路を確保しているのでアゼルバイジャンへの入国手続きをすることなくアルメニア本土と行き来できる。・・・きっとアゼルバイジャン領に囲まれたラチン回廊は緊迫していてアルメニア兵士だらけ、検問連続のばず・・・というのが私の予想だった。

    実際に行ってみると、ラチン回廊どころかカラバフとアルメニア本土の間にあるはずのアゼルバイジャン領はすべてアルメニアの支配下、アルメニア本土とカラバフは隣り合わせになっておりカラバフはもはや飛び地ではなった。これにはたまげました。TNT(オランダの運送会社)作成の地図をコダックのアルバムに載せたので見てください。

    入国審査も検問もなく、兵士もほとんど見ないまま、カラバフ共和国に入国。廃墟となった家々やモスクが悲しい元アゼルバイジャン系の町シューシに寄った後、首都ステパナケートへ向かう。

    「あそこの戦車はアルメニア軍のものだよ。アゼルバイジャンは狙撃兵が抵抗してただけで戦車なんか来れなかったんだ。」聞けば聞くほどアルメニアの圧勝だったようだ。「あそこがアルミャンスキー(アルメニア人)の墓場だよ。」アゼルバイジャン系の墓場は別にあった。難民となったアゼルバイジャン系の人々は一生墓参りできないかもしれない。

    ステパナケート中心部は普通のアルメニアの町となんら変わることなかった。教会、学校、スーパーもあり、路線バスなんかも走っていて結構大きい町だ。アルメニア人観光客が結構来ていて土産物屋も出ていた。戦争が再開しそうな緊張感は全くない。

    帰り道、カラバフ共和国ビザのない私は警察に拘束。手記・デジカメ画像などすべてチェックされた。ロシア語もアルメニア語も分からない私に、英語の分からない警察はドイツ語で質問してくる。きっと東ドイツが共産圏だった頃留学した人なのだろう。ほとんどコミュニケーションが取れないまま、2時間半後解放。

    ガソリンスタンドでは、ガソリンの代わりに天然ガスを使用、車もそれに対応して改造されていて驚いた。アルメニアは天然ガスの豊富なロシアとは親密なのだが、反ロシアのグルジア・敵国アゼルバイジャンに阻まれロシアとの陸路は遮断されている。

    24hオープンのイラン国境。足を机に上げて寝ていたカーキ色の制服を着た係員を起こしスタンプを押してもらう。これで出国手続きは完了のはず。ところがこのあと別棟に案内されなぜか白い制服のロシア人係員による検査!ロシア国旗、ロシア兵、スタンプこそ押されないものの綿密なパスポートチェック。もちろんロシア語。ここがソ連国境でなくなってから15年経過しているのに未だに国境警備をロシアに頼っているのだ。(そういえば2003年時点のタジキスタンのアフガン国境もロシアが管理していた)。

    ウズベク人だというロシア兵士には、敵国アゼルバイジャンのアリエフ大統領についての意見まできかれた。国境での思想チェックはイスラエルですらなかった。生まれて初めての経験。イランとアルメニアの関係は良好なので国境越えは簡単だと思っていた私は面食らった。イランイミグレへ続く長い緩衝地帯を歩きながら安堵で力が抜ける思いがした。


    (以上2006訪問時)
  • http://4travel.jp/traveler/km/profile/


  • Alaverdi, Erevan, Garni, Geghard, Echimiadin..

    世界に広がるアルメニア人の組織。[・・・ヤン]は典型的アルメニア人の名前。例:カラヤン

    世界各地でアルメニア人には出会ってきた。カイロの時計屋でおじいさんが読んでいたアルメニア文字新聞、イスファハン(イラン)のアルメニア人地区、ベイルートの宿で見せてもらったアルメニア人の信仰の刺青、トルコで見たアクダマルの教会、ソロモンで出会った記者、そして映画[Ararat]・・・僕はアルメニアには特別な意識と思いを抱いてきたし、新聞やニュースがいつも気になる。

    強いアイデンティティーとプライドを持つ海外のアルメニア人に比べ、アルメニア本国のアルメニア人は、長いソ連の支配下のもとアルメニアらしさを相当失ってしまっているように見え、それが少し残念だった。







    【旅行時期】2006/08/~2006/08/
    【エリア】アルメニア
    【テーマ】
    【投稿者】km

    “きなくさい中東”の心優しき人々(5)(by ダイサクさん)

    イスラエル
    太策です。夜分遅くすみません。(今は日本時間は午前3時頃ですよね)こっちにきてから一度も連絡できなかったので、心配をおかけしているかと思います。すみません。こっちにきてから、けっこう移動の連続で、なかなか連絡する暇がなく、また、こちらにはあまりインターネットできるところが無かったです。今は、ヨルダンのペトラに来ています。こちらの時間は午後21時になろうとしています。 これまで、シリアのダマスカス(世界史の教科書に出てくる約4000年前から現存する最古の都市の1つ)でスークを散策して、アレッポという北の町(町自体が世界遺産です!)でスークや城を見て、パルミラでは、世界遺産パルミラを見てきました。その後は、ダマスカスに戻り、イスラエルの爆撃で爆破された町クネイトラ(国連管理下で、ゴラン高原の近くにあり、ダマスカスの内務省で許可をもらい内務省の係員が案内してくれます)を見てきてから、アルメリア人と一緒にタクシーでヨルダンに入国(日本人はビザなしです、恵まれてますね)して首都アンマンで一泊しました。その後、バスで国際リゾート都市アカバ(紅海入り口につながるアカバ湾があるヨルダンただひとつの海に接する都市。サウジアラビア、イスラエルの国境近くにあるヨルダンの南部都市)に来て、初めてビールを飲み、なんと、今日は、その紅海でスキューバダイビングを初体験してきました!!約25分で45JD(日本円で6000円くらいかな)で、プロのダイバーにレッスン&一緒にもぐってもらえます。このダイビングが本当にすばらしかったです!!もう、初めて見る海の中の世界、いろいろな種類の魚たち(大きな魚やレインボーの魚など)が泳いでいて海底にはサンゴ礁が広がっています。最高でした。ライセンスは取っていませんが、ぜひ父さん母さん兄ちゃんもダイビングを体験してみてほしいと思いました。(父さんは好きそうですね) 予定としては、明日ペトラを見て、アンマンにバスで帰り、あさって死海に行き、しあさっての便でドバイ経由で帰ります。日本に着くのは関西空港に夕方くらいです。時間の関係上、実家へは戻れませんが、また、連絡しますね!母さんに、死海のドロパック、化粧品を買ってきます。あ、あと知人にあげたいと思いますから他にもですよね?^^ では、長々とすみません。
      皆さんも、良い週末を。こっちにきて、家族の大切さを改めて実感しています。そして、風邪は大丈夫です!
    ダイサク@ヨルダン(10.24.2115ぺトラにて)

    【旅行時期】2008/10/18~2008/10/28
    【エリア】アカバ
    【テーマ】ひとり旅
    【投稿者】ダイサク

    ☆友人訪問☆(by ASIAツアーさん)

    イスラエル
    また、ジャカルタへ行って来ました。現地は雨期で時折、スコールが嵐のようでした。輸入アルコールが品薄で居酒屋、レストランのチュウハイ、日本酒が高くなっています。もっぱらindonesia madeのビンタンビール(一番安い)を飲んでいました。日本¥、1万円の価値は昨年、11月、12月程ではないですが、まだ両替レートは良好です。
    写真は2009/01/11(日)午前10頃、HOTEL NIKKO 7F(街側)から見える風景です。 正面が日本大使館、人並みはイスラエルのパレスチナ自治区ガザ、攻撃に抗議する福祉正義党の1万人デモです。

    【旅行時期】2009/01/10~2009/01/13
    【エリア】ジャカルタ
    【テーマ】ひとり旅
    【投稿者】ASIAツアー

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